「サイババに導かれて~変容こそが最大の奇跡」

今日は特別な情報です。
インドのサテイィア・サイババのことは皆さん知ってますね。

久しぶりにサイセンターから一般書店で並ぶ本が出版されます。
10年ほど前からサイセンターは日本での情報活動を停止してきました、
それは世界で一番霊性の高い国だから、一番後回しにされたのです。

今年のババの聖誕祭は150万人が集まるそうです。

私は阪神大震災の時にサイババにご縁を感じ、サイセンター
に通うようになり、そこで物質化現象を3度ほど見せられました。
これを体験しますと、ちょっと神という存在を疑えなくなります。

しかし私の体験なんかより、もっとサイババの事を知るに相応しい
神戸のサイセンターからの案内を紹介します。

少し長い文章をひとつ紹介します。面白いので読んでいただいて
良かったら書籍をお買い求めください。
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新出版本「サイババに導かれて~変容こそが最大の奇跡」 案内

この体験談は、サイババ様が過去から未来をすべておわかりであることが
よく理解できる本になっています。外国人の体験5人。日本人の体験30人が
載っています。その中で医師の体験は5人で、5人ともサイババさまのお力により、
命を救われました。

11月25日から一般書店に並びます、アマゾンでも販売されます。
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2009年10月2日夜に、プラシャーンティニラヤムのレクチャーホールで行われた
英国のガディア博士の講演内容をご紹介します。

ガディア博士はロンドンで活躍する医師で、古くからのスワミの帰依者としてよく知られています。兄弟姉妹の皆さん、サイラーム!本日はたくさんの方々にお会いできて、とてもうれしいです。今日、スワミは(日本の青年部が演じたアーディ シャンカラの)劇をご覧になって、とても喜んでいらっしゃいました。アーラティを受けてお帰りになる時、ベランダに座っている私たちに向かって、「とてもよい劇だった」とおっしゃいました。特に若い方々が、あのようにして劇で神への愛を表現するのを、スワミは好まれます。ですから皆さんには、これからもいい劇を作り続けてほしいと思います。

さて、今日はまず、私の子どもの頃の話をします。1950年、私の兄はバンガロール医科大学で勉強していました。バンガロールにいた兄は、プッタパルティにサティヤサイ ババという神がいるという話を耳にしました。そして兄は、本当にババが神なのかを確かめるために、プッタパルティを訪れ、それから定期的にババのもとへ通うようになりました。兄については、本当にたくさんのエピソードがあるのですが、今日はその中の一つだけをご紹介します。

兄には糖尿病を患っている友人がいました。彼は定期的にインシュリン注射をしなければならないほどでした。スワミは兄とその友人二人をインタビューにお呼びになり、なぜここに来たのかとお尋ねになりました。しかし、もちろんスワミはその理由を既にご存じで、「この人が糖尿病だから来たんだね」とおっしゃいました。そしてヴィブーティを物質化されると、「インシュリン接種はやめて、これからラッドゥー(インド菓子)を食べなさい」と、おっしゃいました。

しかし兄は「今すぐ食べずに、病院に戻って検査を受けてから食べた方がいい」と言いました。ご存じのように、糖尿病患者の血糖値が急激に上昇すると、昏睡状態に陥る危険性もあるからです。病院に戻って検査をすると、彼の血糖値は正常に戻っていました。

それから起こったことを話し始めると何時間もかかってしまいます。兄は「サイスマラナム」という本を書きまして、いろいろな国の言語に翻訳されましたので、詳しくはそれを読んでください。(日本語版はBro.牧野が翻訳中です)それから兄は何度もスワミのもとに行き、スワミが神であることを完全に確信しました。そして、アフリカのウガンダのカンパラに住む私たち家族に、たくさんのことを話してくれました。

1952年、私たちはカンパラにサティヤサイ センターを開きました。兄はウガンダに来て、人々にスワミの話をしました。人々は「この人は医者なのに、生きた神様や奇跡の話をするなんて、頭がおかしいんじゃなかろうか」と噂(うわさ)しました。このようにしてサイセンターが始まったのです。

兄は「サティヤ サイ ババは前世においてシルディ サイ ババだったのだから、両方に祈らなければならない」と言って、二枚の写真を持って来ました。ここでは話を端折(はしょり)りますが、それからいろいろありまして、やがて父母や兄弟など家族全員がババは神だと信じるようになりました。しかし私はまだ完全には信じ切れず、ババはただのグルで神ではないと考えていました。

1957年、私は大学へ進むために、カンパラからインドのムンバイに行きました。私はムンバイ医科大学で一年学んだ後、最終的にジャームナガル医科大学に進みました。同じ頃、医大を卒業した兄は、プッタパルティに行きました。スワミは兄に「ロンドンへ行って、大学院に入りなさい」と指示されました。兄はロンドンへ行き、熱帯医療の研究をしようと思って、ある医科大学を訪れました。しかし「紹介状がなければ入れません」と断られてしまいました。

その夜の明け方、スワミが兄の夢に出てきて「リバプールに行きなさい。そこにあなたの場所を確保しておいたから」とおっしゃいました。翌朝、目覚めた兄は、列車でリバプールへ行きました。夕方に到着し、医大の入学窓口に行った兄は、「インド人の方、あなたは幸運な人です」と言われました。「ちょうど今、一人キャンセルが出たところです。キャンセル待ちの人が十人いるけれど、全員が現在リバプールにいなくて連絡が取れないので、今入学金を払えば入学できますよ」と言われたのです。

これが神のやり方です。兄は一年後に博士号を取り、プッタパルティに戻ってきました。するとスワミは兄に「ジャームナガルに行った方がよい」とおっしゃいました。兄は私に「これからジャームナガルに行く」と電報で連絡してきました。私は兄を迎えに行き、「誰がここに来るように言ったの?」と尋ねました。兄は「サイ ババだよ」と答えました。私は兄が医大の教員になるとよいだろうと考え、教授のもとに兄を連れて行きました。

兄は生理学部の助教授になりました。そして、月曜日から金曜日までは大学で働き、休みになる土日には、寺院や集会場などで、ババの話をするようになりました。ババの奇跡の話は評判を呼び、多くの人が集まるようになりました。ある日、兄は私にババの奇跡の話をしてくれました。そして「お前にヴィブーティを分けてあげるから、容器を買っておいで」と言いました。

翌日、私は町に出かけ、小さな銀製の嗅(か)ぎタバコ用の小箱を買い、ポケットに入れました。夕食後、兄が「ヴィブーティを分けるから容器を出して」と言いました。ポケットに入っていた小箱を開けると、そこには既にヴィブーティが入っていました。

私はこの箱を作った人がスワミの帰依者で、ヴィブーティを入れてくれたのだと思いました。翌日、二人で店に行き、箱を作った職人に「あなたはこの箱にヴィブーティを入れましたか?」と聞くと、職人は「いいえ」と答えました。そして「あなたはサイババのことを知っていますか?」と聞くと、職人は再び「いいえ」と答えました。

これで私の疑念は消え去りました。すると兄は「時間を無駄にしていないで、サティヤ サイババに会いに行きなさい」と言いました。こうして私は1960年に、初めてプラシャーンティ ニラヤムに行ったのです。<注ヴィブーティ=神聖灰のこと。>当時のアシュラムは、マンディールがあるだけで、あとはすべて森でした。

カストゥーリ博士に「どこに寝ればいいでしょうか?」と尋ねると、「どこでもいいですよ」と言われました。私はスワミの奇跡に興味を示した医学生七人と一緒に来ていました。私たちは、一本の木を選んでその下で寝ました。

話は三年後に飛びます。1968年のこと、スワミは実際にアフリカに来てくださいました。当時、私は首都カンパラから八十キロ離れたところで病院をやっていました。私は「義務は神です。仕事は礼拝です」というスワミの言葉に従い、どんな仕事であってもそれを神のために行いました。

そしてまた、神は遍在であり、日本であろうと、アフリカであろうと、インドであろうと、自分がいるところにスワミはいらっしゃると信じていました。皆さんも、神はここ(プラシャーンティニラヤム)だけにいる、ここに来ないと神に会えない、などとは思わないでください。

さて、土日に病院が休みになると、私はカンパラに行きました。両親はスワミをお迎えするために忙しくしていました。私はなんとか場所を見つけて座ることができました。スワミは、カンパラにいる医師全員をインタビュールームにお呼びになりました。私は妻を呼び寄せ、一緒にインタビュールームに入りました。

インタビュールームには、カンパラに住む医師全員五~六十人とその家族がいました。C・G・パテル医師の招待に応じて、スワミはカンパラにいらしたのです。多くの医師がたくさんの問題を抱えていました。スワミはたくさんの人に声をかけ、とても忙しくなさっていました。スワミは私たちにも「元気ですか」声をかけてくださいました。私はスワミにパーダナマスカールをし、「私はここで幸せに働いています」と答えました。スワミは「明日あなた方の家に行きますから、家族全員を呼んでください」とおっしゃいました。<パーダナマスカール=神の御足に触れること>

翌日、カンパラにある家に家族全員が集まってスワミのご訪問を待っていました。スワミがいらっしゃると、私たちはスワミにブドウを差し上げました。スワミは「あなた方の今の生活はブドウのように甘いけれども、将来は良くありません」とおっしゃいました。私たち家族はカンパラで生まれ育ち、その頃は仕事も順調で、生活も落ち着き、幸せに暮らしていました。しかし、スワミはそれをブドウに喩(たと)え、甘いブドウもいつか腐ってしまうことを示唆されました。

そして、ここにいると将来はよくない、引っ越しなさい、とおっしゃったのです。それから何が起こったかといいますと、私は病院や建物を売却して、すべての財産をロンドンに移しました。イギリスのパスポートを所持していたので、ロンドンに移住することにしたのです。スワミは、私一人が行くのではなく、親や兄弟姉妹など家族全員をロンドンへ連れて行きなさい、と指示されました。事業の売却に時間がかかり、家族全員の準備が整うまでに四年ほどかかりました。

その間に何回も「早く行こう、早く行こう」と皆をせかしたのですが、実際には時間がかかりました。そうこうしているうちに、アミンによるクーデターが起こり、国内状況が急変しました。1972年のことです。突然一人の兵士が私の車の近くに来て「車を調べてもいいか」と声をかけてきました。私は、「どうぞ調べてください。何もありませんよ。私は医者ですから」と言いました。兵士は車の中を調べていましたが、何も見つからないようでした。すると兵士は私を茂みの中へ連れて行き、マシンガンで撃とうとしました。「なぜ私を撃つのですか」と聞くと、兵士は「肌の色が違うからだ」と答えました。

私は涙を流しながら「なぜ私が殺されなければならないのですか」と言いました。兵士は「お前たちは肌の色が違う。お前たちは私たちを支配しようとする。お前は医者で、以前タンザニアの人を助けたから、殺すようにと上層部から命令されている」と言いました。クーデターで追放されたオボデ前大統領がタンザニアに亡命していたので、当時、ウガンダは隣国のタンザニアと緊張関係にあったのです。

「最後の願いはあるか?」と聞かれたので、「両親と妻と子どもの顔が見たい」と言いました。「それは無理だ。タバコを吸うか?」と言われましたが、「タバコは吸いません」と断りました。それから「祈れ」と言われました。私は財布の中から我が主であるサティヤサイ ババの名刺を出しました。兄弟姉妹の皆さん、死に瀕(ひん)した時、人はどのように祈るべきなのでしょうか?

私は涙を流しながら「サイババ様、どうか私の家族をお守りください」と祈りました。すると兵士が「おまえの神は誰か?」と尋ねてきました。私は「サイ ババです」と答えると、スワミの写真を見せました。スワミの写真と住所を見た兵士は「行け」と言いました。私は「あなたはお金がいるでしょう?私はお金はいりませんから」と言って、財布の中からあるだけのお金を出して兵士に渡しました。こうして私の命は助かったのです。

私はその後すぐに両親のもとへ行き、「今すぐにこの国を出ます。一緒に行けるなら来てください。できないなら置いていきます。もうこれ以上この国にいたくありません」と言いました。そしてその日のうちに家族全員がウガンダを出国しました。アミン大統領は、この国を出て行く人は、手荷物を持って行くだけで、他は何も持って行ってはならない、と指示していました。

スワミのお話があった後、お金はすでにロンドンに送ってありましたから、何も心配する必要はありません。私たちは何も持たずに、子どもたちだけを連れて、ロンドンに到着しました。それから十五年くらい経(た)った時のことです。ホワイトフィールドで、スワミから人々に何か話をしなさいと言われて、この話をしたことがあります。スワミは私たちの過去、現在、未来をすべてご存じです。

ある時、スワミが私の兄に「君はカカ サヘブ ディクシットの孫だ」とおっしゃったことがあります。カカサヘブ ディクシットは、シルディ サイ ババの偉大な帰依者です。カカ サヘブは、シルディにいた時、ババに何度も「私の子ども、私の孫の面倒を見てください」とお願いしていました。それで今生でサティヤサイ ババが私たちの面倒を見てくださっているのだそうです。

ですから、今生で皆さんがサティヤ サイ ババに「私の子ども、私の孫の面倒を見てください」とお願いすれば、来世ではプレーマサイ ババが面倒を見てくれることでしょう。スワミが私たちの過去、現在、未来をご存じであるという話に戻ります。私の命が危険にさらされた時、スワミは私を守ってくださいました。

それから十五年後、ホワイトフィールドでその話をしました。するとその後で、スワミがこのような話をされたのです。キシャン(ガディア博士の名前)を殺そうとした兵士は非常に凶暴な男でしたが、スワミの名刺を見た瞬間に、スワミが彼の心を変えました。

彼はイスラム教徒でしたが、その日から「サイラーム、サイ ラーム」と強く祈るようになりました。ある日、カンパラでこの兵士が祈っていると、誰かが笑う声が聞こえました。兵士は「誰が笑っているのだろう?」と思いました。そこには誰もいなくて、ババの写真しかありませんでした。するとその瞬間、写真からスワミが現れて、兵士に「プッタパルティに来なさい。私が祝福してあげよう」と言うと、すぐに消えてしまいました。

その後、兵士はプッタパルティに来て、インタビューに呼ばれました。兵士はスワミからローブをもらいました。スワミは戦士をヴァールミーキに変えたのです。ヴァールミーキは殺人鬼でしたが、聖者ナーラダによって変わりました。「マーラマーラ」と唱えているうちに「ラーマ ラーマ」と唱えるようになり、霊感を得、ラーマーヤナを書き上げたのです。

お話ししたいことはたくさんありますが、最後に一つ、最近起こった奇跡の話をします。二〇〇五年にスワミはある奇跡を行われました。胎児を変容させたのです。しかもロンドンで。ご存じのように、スワミはいつもインド国内にいらっしゃいます!定期的にプッタパルティを訪れていたロンドン在住の家族がいました。

私はロンドンに住んでいたことがあるので、その家族とは顔見知りでした。その家族の息子が結婚し、やがてお嫁さんが妊娠しましたが、出生前診断で子どもがダウン症であることがわかりました。そのことを知った息子夫婦は苦悩の涙を流しました。初めての妊娠だったのです。

彼らは両親に電話をして、自分たちの代わりにプッタパルティに行ってほしいと頼みました。プッタパルティに到着した息子の両親は、スワミにメモを渡そうとしましたが、渡せませんでした。クリシュナ神であるスワミは、時々そのようなお願いを無視されることがあります。私は、ベランダで息子の父親の隣に座っていました。スワミが前を通り過ぎられた後、彼は私に事情を話し始めました。

「ドクター、私はとても心配なんです」私は「どうしたんですか?」と尋ねました。その後、両親が私のところにやって来て、事情を説明した後、「どうしたらいいでしょうか?」とアドバイスを求められました。私には「医師の立場から言うと、中絶するしかありません。医学的にできることは他にありません。神の返事を待つしかありません」としか答えられませんでした。

その日の夕方のダルシャンで、スワミはメモを読み、両親をインタビュールームへお呼びになりました。スワミはよく「過去に行ったカルマの結果のために、現在こういう状況に陥っているのです」と説明されます。兄弟姉妹の皆さん、ある行動を取る前に、よく考えなければなりません。悪い行動を取れば、来世で悪い結果を受け、苦しむことになります。スワミは「私が胎児を変えますから、中絶はしないように」とおっしゃいました。彼らは「義理の娘をロンドンからプッタパルティに呼んだ方がいいでしょうか?」と聞きました。するとスワミは「いいえ、私がロンドンに行きます」とお答えになりました。これが主です。

それから七~八ヶ月の後、美しい娘が誕生しました。それよりも前にスワミは家族に「あなた方には女の子を授ける。名前はティンジアだ」と話していらっしゃいました。この出産を担当した産婦人科医は、その後ロンドンやマンチェスターで行われた学会で、この子どもの症例について質問されたそうです。それについて医師は「両親はババの写真を見せて『この神様のおかげで、このような素晴らしい娘が生まれたのです』と主張しています。

サイババのおかげかどうかは、医学的にはクエスチョンマーク(?)だけれども、子どもには何の障害もなく、発育も順調です」と答えたとのことです。兄弟姉妹の皆さん、このようにして、素晴らしい奇跡が何万件も、世界中で、そしてプッタパルティで起こっているのです。

スワミが私たち帰依者に望んでいらっしゃるのは、三つのことだけです。 神への愛・罪への恐れ・社会における道徳  この三つだけなのです。

アミンによるクーデターが起こったのは一九七一年一月。大統領となったアミンはアジア系移民(ほとんどはインド系)を国外追放し、三十万人以上の自国民を虐殺した。一九七九年にアミンは失脚し、サウジアラビアに亡命、二〇〇三年に死亡した。)

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ジャンル : ブログ

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サラ・シャンティ

Author:サラ・シャンティ
311東北大震災で眠っていた日本人の意識を目覚め、創業以来20年の努力が報われた。日本人が世界の期待に答えるために、縄文基底文化に秘められたカタカムナの謎を解明し、高天原の神々からの波動を受けて魂と心と体が三位一体とし、利他で働く真の健康な人々の国を再生しましょう。

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