せめぎあう日米中の国体神話 宮崎貞行

長文ですが宮崎貞行先生の文章を紹介します。

せめぎあう日米中の国体神話 ――なぜ今、国体論か
国体と政体の違い                              
    

どの国にも、伝統的に尊重されてきた「国体」というものがあり、「国体」についての言説があります。それらの言説は、その正しさを科学的に実証することができないという意味で、どんなに巧みな近代言語で理論武装されていようとも、すべて「神話」といってよいものです。

しかし、神話だからといって、現実世界において意味がないというのではありません。神話は、その逆に現実に対して強い作用を日々及ぼしているものでありますが、神話の有用性は、国々の長い歴史において結果としてどう機能したか、その国がどの程度永く生存と発展を続けられてきたかという結果においてしか判定できないものなのです。

 本稿においては、日本と密接な関係のある米国と中国の国体神話をまず取り上げ、それとの比較において我が国の国体神話を説明し、その特色を分析してみたいと思います。

日米中の国体神話は、厳しい現実の世界において互いに優劣を競い合っており、日々の情報戦争を通じて自国の国体神話を正当化し、強化しようとしています。国々の盛衰や優勝劣敗は、国体神話を抜きに語ることはできません。

さて、不用意に「国体」という言葉を用いてきましたが、ここで、当面の定義を整理しておきましょう。本稿においては、その国の伝統的、歴史的に形成され、大多数の国民によって尊重されてきた立国の思想と価値の体系を「国体」(national entity)と呼び、ある国の政治的な統治体制を「政体」(polity)と名付けることにします。
政体には、立憲君主政体、共和政体、一党独裁政体などがありますが、その国の価値体系を基盤として、歴史の進展ととともに内発的に産まれる場合もあれば、敗戦後のわが国やサダム・フセイン打倒後のイラクのように、伝統的な価値観と関係なく強制的にある政体を外部から押し付けられることもあります。

米国流の政体を押し付けた場合には、長い歴史をもつ日本やイラクの固有の国体と衝突し、摩擦を生じ、いずれは制度自体が廃棄されるか、あるいはその中身が変容していくことになります。

たとえば、イラクの場合は、部族の連合が国家を形成していましたから、個人主義に立脚する米国流のデモクラシーは、選挙制度を外見上採用させ、民主化させたとはいえ、完全な失敗に終わりました。スンニ派、シーア派の各部族長が、実質的な政策決定を行うという以前のシステムに戻ってしまったのです。ブッシュ前大統領は、イラクの民主化によって情勢は安定すると自負しましたが、その後の中東の混乱は目を覆うばかりですね。

わが国は敗戦後、米国によって、「国民主権」、「自由」、「基本的人権」などの米国の価値体系に基づく憲法が強制され、いまでは憲法学者もこれらの概念に何の疑いも持たず、普遍的なものとして受け入れ、学生にも当然の価値として刷り込まれています。

戦後は、米国流の政体論が盛んとなり、国体論はすっかり語られなくなりましたが、だからといってわが国の国体が消滅してしまったわけではありません。米国や共産中国の国体と同じように厳然として存在し、いまもなお私どもの日常の行動に深い影響を及ぼしつづけています。

アメリカの国体神話とは

それでは、本題にかえって、アメリカの国体神話とはどのようなものでしょうか。それは、建国の神話を編集した三つの声明の中に見出すことができます。

英植民地からの独立の決意を表明したジェファソンの独立宣言、民主政治を表明したリンカーン大統領のゲティスバーグ演説、そしてフランクリン・ルーズベルト大統領の「四つの自由」の宣言です。

毎年、九月十一日には、ニューヨークで同時テロを追悼する記念式典が開催されますが、その式典では必ずこの三つの声明が読みあげられます。建国精神を代表するこの三つの声明は、国難に面したとき、もう一度アメリカの価値を見直し、団結をかためるために読みあげられるのです。

ところが、よく検討してみると、これらの声明は白人社会の一方的な利益を追求するための偽善的なものであることが判明してくるのです。

ジェファソンは、英植民地からの独立を宣言しましたが、米領土はもともと先住民インディアンの土地を武力によって強奪したものでした。かれは、一部地域に限ってもインディアン族の「独立」を決して認めようとしませんでした。ジェファソンは、広大な邸宅で百人以上の黒人奴隷を使い、黒人女に数十人の子供をはらませ、あたかも植民王のようにふるまっていました。

リンカーンは、「人民による人民のための政治」を標榜しましたが、その人民の中に黒人もインディアンも含まれていませんでした。彼らに選挙権は与えられていなかったのです。また、ルーズベルトは、「貧困からの自由」を謳いながら少数民族の貧困には無関心でしたし、「恐怖からの自由」を主張しながら、メキシコやハワイ、フィリピン、日本に対しては軍事力の威嚇を通じて底知れない恐怖を押し付けていたのです。
アメリカの国体神話を特徴づけている基本的な価値観は、「独立した個人の自由」といわれるもので、戦後の日本はこの観念に幻惑され、洗脳されてきましたが、果たしてそれは「自明の真理」なのでしょうか。「自由」の権利は、世界に通用する「普遍的な価値」と教え込まれてきましたが、はたしてそうなのでしょうか。

よく考えてみると、自由というのは、「私の自由」、「あなたの自由」、「アメリカの自由」、「白人の自由」というように、「の付き」の自由でしかありません。すべての人に共通する「普遍的な自由」というものは存在しえないのです。もし普遍的な自由があるとすれば、アメリカは、日本やロシア、ベトナム、イランの普遍的自由のために戦うべきでしょうが、歴史を振り返ると、アメリカは自国の自由のために、日本、ロシア、ベトナム、イランに不自由を強制してきたのです。

結局のところ、自由というのは、強者が振り回す論理であって、力の強いものにとって都合のよい価値観にすぎないことが分かります。力のない貧乏人、有色人種、社会的弱者は、自由を与えられてもそれを活用できないのです。したがって、自由主義は、必然的に貧富の格差を増大させます。今、米国は先進国の中で一番貧富の格差の激しい国となっていますね。金融資本家のたむろするウォール街とアル中の多い貧しいインディアン居留区の光景は、きわめて対照的です。

米国は、自国の産業が強い時期は、貿易の自由化、金融の自由化などを要求してきますが、いったん弱くなると、力を背景に、半導体や自動車の輸出などについてみられたように、自由の主張を引っ込め管理貿易を主張するようになります。自由主義の裏側には、力の信奉と覇権主義が隠れていることを忘れてはなりません。
自由はまた、強者に有利な考えであるばかりでなく、社会対立を助長する思想でもあります。自由を強調すればするほど、「私の自由」と「あなたの自由」は激しく対立してきます。その対立を解決しようとして、アメリカは弁護士を大量生産する訴訟社会となりました。訴訟社会では、はげしく自己主張をして対立しあうことが奨励されます。

アメリカの自由論は、ユダヤ・キリスト教の伝統に裏付けられています。すなわち、独立宣言にあるように、「超越的な神が人間に自由を追求する権利を授けた」という創世神話に基づいています。アメリカは、建前の上では「国教」を放棄していますが、今日もなお、「見えざる国教」(ユダヤ・キリスト教)が市民生活と政治を厳然と支配していることは、大統領の就任式や一般の葬式を見ても明らかです。

もともと、自由の観念は、王制を打倒しようとしたフランスの革命家たちが掲げた理念でした。王政を破壊するために、自由の旗印のもとに民衆の団結を図ろうとしたのです。アメリカの革命家たちも、植民地支配を続ける大英帝国の打倒を目指して、自由の名のもとに戦争を仕掛けたのです。このように、自由の価値観は、対決と対立と闘争を助長するためのわかりやすい便利な道具として使われてきたのです。自由の理念が、ベトナム戦争やイラク戦争を助長したことを思い出してください。

フランス革命は、「自由な個人の契約または信託によって社会が生まれた」というフィクションの上に成立しました。個人アトム説にたつルソーの社会契約論が代表的なもので、アメリカ革命もその延長上にあります。
が、果たして、そのような、過去や伝統や共同体からも「自由な独立した個人」というものは存在するのでしょうか。社会は「いま生存している諸個人の契約によって成立しているのだから、契約を結びなおして暴力革命を起こしてもよい」ものでしょうか。

我々は、父祖たちの築いてきた共同体の切り離せない一員として生まれ、共同体の約束事や制約の中で恩恵を受けながら成長してきたのではないでしょうか。そして、国家や社会という共同体は、生きている我々だけでなく、亡くなった先祖たちが今も見守り、長所は失わないでほしいと願っているのではないでしょうか。

もし、そうだとすると、「個人」、「自由」、「基本的人権」、「契約社会」といった概念は、根本的に見直さなければならないということになるでしょう。少なくとも、独自の価値体系をもつ日本社会においては、アメリカの建国神話を直輸入するのではなく、我が国に適した新しい概念を発明していく必要があるのではないでしょうか。

中国の国体神話とは

次に中国の建国神話に移りましょう。中国は、天命によってある専制王朝が成立し、王朝が徳を失えば、易姓革命によって次の専制王朝に交代するという歴史を繰り返してきた国ですから、永続的な国体神話というものはありません。歴史的にも、モンゴル族、満州族、日本民族などによって支配されてきたので、それらに共通する国体理念というものはないのです。

あるとすれば、武力と権力を握ったものが民衆と土地を支配するという「弱肉強食」思想でしょう。だましと裏切りなど権謀術数の限りを尽くして権力をにぎったものが「正義」を体現するというのが、伝統的な中国の価値観であります。中国で『孫子』、『六韜三略』、『三国志』など権謀術数の戦術論が発達したのは、そういう背景があるからです。

権力を握った後は、その王朝が周辺諸国に対し朝貢をせまる華夷秩序の中華思想(ethnocentrism)というものが国体神話となってきました。中国は、今も諸外国を同列に見ず、序列をつけて扱うことが習慣となっています。相手国の序列に応じて、歓迎宴に出す王朝料理に差をつけ、応対者を変え、それによって中華の優位を示そうとします。

もっとも最近に成立した中華王朝は、いうまでもなく、共産党の支配する共産中国ですが、これは強烈な建国神話を持っていました。
共産党の率いる中華人民共和国は、暴力革命によって一九四九年に成立しましたが、共産中国は、「力は正義なり」という伝統的な国体神話の上に築かれています。
毛沢東は、「革命は、銃口から生まれる」といいましたが、革命を成立させるにも維持するにも、武力が不可欠であることを彼は知っていました。毛沢東の代表作『矛盾論』が主張するように、たえず敵を見つけ出し、敵の内部矛盾を引き起こし、弱体化させ、民衆の力で包囲し、最後に武力で制圧するというのが、毛沢東の戦術でした。彼は、「永遠につづく革命」の一環として、文化大革命という名の権力闘争を展開したのです。現在も、毎日三百件以上発生する民衆暴動を武力で制圧し、政府を批判する知識人を投獄するのが「永久革命の正義」と共産中国は信じています。

第二次大戦後に一党独裁の共産王朝が誕生したときは、たしかに建国の理念というものはありました。
そのときの建国神話は、生産手段と資本と土地を国有化し、成果を平等に配分する共産社会を建設するという理念でした。アメリカが「個人の自由」を強調したとすれば、共産中国は「全体の平等」を掲げて蒋介石の保守勢力と戦いました。
しかし、ソ連の崩壊が示したように、やがて「歴史の必然」のはずの共産主義は神話に過ぎないことが明らかになり、現代中国はその理念を事実上放棄し、「市場経済社会主義」という意味不明な標語のもとに弱肉強食の原始資本主義経済に戻ってしまいました。

鄧小平の改革開放路線は、毛沢東の路線を修正したものですが、一党独裁の体制を変えずに強欲な資本主義だけ導入したものですから、中国の貧富の格差は、いまやアメリカを超える水準に達しています。権力を握った共産党の幹部だけが、汚職と賄賂で、国有財産を私物化し、莫大な資産をため込み、海外に隠匿しているのです。

一世を風靡した共産主義の民衆解放神話は、いまや見る影もなく、「弱肉強食」の中華思想という唯一生き残った国体神話に頼らざるを得ない状況に陥っています。チベットや新疆に対する弾圧や南シナ海などで中国がすすめている資源強奪作戦は、このことを実証しているのではないでしょうか。

前節で自由主義は社会対立を促す思想であると述べましたが、共産主義もまた、対立と抗争を激しくあおるものでもあります。一つの国民を資本家階級と労働者階級に分けて、対立をあおり、資本家を打倒する闘争を促します。国外の資本主義社会を共産化するため、暴力革命を援助、奨励し、場合によっては武力介入も厭わないという強烈な使命感を持っています。

共産主義はまた、歴史に「救済と進歩」の観念を持ち込み、過去から未来に向かって、堕落した資本主義からの「救済」を実現するのが、「歴史の進歩」と考えました。その思想の淵源を訪ねてみると、ユダヤ教にさかのぼります。共産主義は、ユダヤ教から生まれた鬼子といってよいものです。『資本論』を書いたマルクスは、ユダヤ人でしたね。

このユダヤ一神教の特色は、一つであるはずの宇宙存在を全能の創造神と罪深い被造物に二分化したことです。被造物である人間は、創造主の意思に逆らい、罪を犯したので、創造主の救済を待ち望まなければなりません。主と僕(しもべ)、原罪と救済、天使と悪魔、善と悪、創造と終末、過去と未来という二項対立の思考に依拠しているのが、ユダヤ教とそれに由来するキリスト教、イスラム教でした。
共産主義は、たしかにこの二項対立の思考形式の上に成立しています。一つの国民を対立する二つの階級に分け、堕落した資本家を打倒するのが「歴史の救済」と考えました。労働者階級が皇帝や資本家といった悪を打倒すれば、最終の天国である共産社会が生まれると信じました。

ユダヤ人マルクスは、このユダヤ教神話の影響を色濃く受けていますが、彼の理論が、世界に破壊と大量の殺戮と混乱を招いたことは、ユダヤ教の思考様式の重大な欠陥を示唆しているように思われます。ユダヤ・キリスト教の二分法の思考様式は、現代にもなお強い力を世界に及ぼし続けています。白人による人種差別や覇権的支配、ユダヤ人主体の英米金融資本による世界金融の支配は、この二分法の思考の延長上にあるとみてよいでしょう。
日本の国体神話とは何か

それでは、我が国の建国、立国の神話とはいかなるものでしょうか。
古い歴史を持つ我が国は、比較的に新しいアメリカの神話とも、戦後成立した共産中国の建国神話ともまったく違ったものを持っています。アメリカの神話はまだ二百四十年、共産中国の神話は六十六年の時間のテストしか受けていませんが、我が国の国体神話は数々の動乱や国難など三千年以上の時の試練を経てしっかり生き延びているのです。

その原型は、古事記と日本書紀の中に見ることができます。記紀は、当時の為政者が統治を正当化するために作成したものでありますが、そのなかに時代を超えても輝きを失わない珠玉のような建国理念がありました。

わが国最古の建国の理想は、古事記において、皇位継承のしるしである三種の神器という形で表現されています。すなわち、勾玉は為政者が玉のようにまどかな心をもって民の生活をととのえること、鏡は為政者が鏡に照らすように自らを反省し民の気持ちを明るく照らすこと、剣は世の規律を乱すものをいさめることを意味しています。三種の神器というのは、単に皇位継承のしるし(レガリア)ではなく、歴代の天皇と臣下が受け継ぐべき建国の理念を示していたのです。

これを、器物による教え、器教と呼んでいます。古代の大和(やまと)の人々は、抽象語を持っていませんでしたから、建国の理念を具体的な器物をもって伝えようとしたのでした。

このような統治の理念は、聖徳太子の時代にもう少し精緻な論理で展開されるようになります。
十七条憲法がそれですが、聖徳太子は、和の理念を円の中心に置き、そこから延びた十六の花弁に、和から発する十六の統治の徳目を列挙しました。礼節、謹慎、勧善、登用、精励、信義、寛容、賞罰、服務など、官僚の徳目を十六菊花紋になぞらえて表現したのでした。全体を統合する最高の理念は、「和をもって貴しとなし、さからうことなきを宗とせよ」という「和」におかれています。

当時は、崇峻天皇が暗殺されたり、氏族間の宗教戦争があったり、混乱を極めていましたが、太子は、人々に私利私欲と党派性があることを認めたうえで、それでもなお上位のものが和らぎ、下位のものが睦んで、よく相手の立場を思いやり、話し合いを行えば、よい解決策が見つかるものだと諭したのです。

この和の論理は、お互いに自分の権利を主張しあって闘争することにより解決策を見出そうとする欧米の個人主義とも違い、労働者の権利を暴力革命により実現しようとする共産中国の理念ともまったく異なっています。

和の精神は、全知全能の創造主と罪深い被造物の二項対立を前提とするユダヤ・キリスト教の考えとも違っています。それは、聖人でもなく愚人でもない神々を前提におく古代の思想に立脚していると思われます。太子憲法の第十条に「われ必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚にあらず、ともにこれ凡夫のみ」という冷静な観察がみられますが、我が国の神々も凡夫であったがゆえに、率先して「やわし、むつみ、尽くす」という態度が求められたのです。

この和の国体精神は、江戸時代に入ると、二宮尊徳によって体系的な哲学にまとめあげられていきます。

尊徳は、領主も農民も自分の権利を主張するよりも先に、自分の分限と職分をよく度(はか)り、わきまえること、その上に立って共同体の発展のためにお互いに譲り合い、分かち合い、助け合うことを推奨したのです。それを、名付けて「分度、推譲」と呼びました。尊徳の農村開発政策は、すべてこの「分度、推譲」の理念に基づいています。

尊徳の思想は、「報徳」という存在神学に裏付けられています。「徳」というのは、価値のことで、あらゆる人、物、草木、月星、神々など周りの存在が備えているそれ自体の価値をみとめ、その価値をありがたいと感じ、その価値に報いることを「報徳」と呼びました。

二宮尊徳は、わが権利や私利をぶつけるよりも、平和な共同体を築くべき道義上の義務である「報徳」をさきに果たそうと呼びかけたのですね。批判するよりも先にそれぞれの徳(価値)を認め感謝しよう、取ることよりも与えることを先にしよう、要求するよりもさきに奉仕しようと呼びかけたものであります。とりわけ、上位の為政者がわがあり方を反省し、率先して感謝と奉仕を先に行うことを求めたものといえましょう。

明治にはいると、聖徳太子や尊徳のような道義国体論は影が薄くなり、天皇主権を意味する特殊な国体論(これは、本来なら「政体論」と呼ぶべきものです)がこれにとってかわりますが、大正、昭和になりますと、列強の仲間入りを果たしたわが国は、欧米に対抗しうる独自の価値体系をまとめ、これをわが国の国体の本質として提起しようという動きが盛んになってきます。

たとえば、和辻哲男は、個人主義に代わって、人と人の間の相互依存を強調する間人主義を唱え、西田幾多郎などの京都学派は個人主体でなく自覚の境地を中心に置く「場所の論理」を国体の基礎に据えようとしました。鈴木大拙は、もっと根本にさかのぼり、欧米の二項対立の思惟を超えた「即非」の論理、あらゆるものは異なりながらも一つであることを自覚する思惟を海外に訴えようとしました。また、里見岸雄は、民族の根底に流れる「生命体系」を基調とする膨大な国体論を論述しています。

こうした国体論議の高まりを受け、文部省は和辻などの協力を得て昭和十二年に『国体の本義』をまとめ、国民の自覚を促そうとしました。ここには、個人主義に対する共同体主義、差別主義に対する同朋主義、功利主義に対する奉仕主義の主張がみられます。東アジアの解放をめざした昭和十八年の大東亜共栄宣言は、戦前の国体学の延長にあり、我が国がはじめて世界に対しその歴史的な任務を明らかにしたもので、その基本的理念は今日も輝きを失っていません。それは、白人中心の世界秩序に対して東洋が敢然と異議を申し立てた、世界史に特筆されるべき宣言でした。

しかし、敗戦後は、わが国独自の価値と役割を追求する国体論は鳴りを潜め、わずかに三上照夫の自由主義と全体主義を超える「第三文化論」が注目されるだけのさびしい状況となりました(拙著『天皇の国師――賢人三上照夫の真実』を参照)。

こうして次第に世の中は、楽で豊かな経済生活を追い求めることに汲々とし、日本の存在価値を追求した戦前の知識人たちの労作はすっかり忘れられ、固有の価値体系を再発見するよりもアメリカの思想体系を借りて間に合わせるという安易な方向に動き始めたのです。

せめぎあいの中で

しかし、近年、我が国をめぐる思想状況は急速に変わりつつあります。
特に、二○○八年のリーマンショックにより、アメリカの行き過ぎた自由原理主義の弊害が明らかとなり、個人主義と功利主義にたつアメリカの国体が世界にとって有益ではないという考えが広まるようになりました。アメリカの中東介入の失敗とともに、覇権国アメリカの影響力は次第に低下し、相対的に共産中国の影響力が増大してきました。ところが、その中国も世界に訴える理念を持たず、「力は正義なり」というだけの弱肉強食の論理を振りかざして、周辺国を圧迫しています。
また、あいつぐ爆弾テロと内乱、飢餓、難民の問題は、中東だけでなく、西欧、東南アジアにも押し寄せています。さらに、ユダヤ教とイスラム、キリスト教圏の対立は、経済格差に増幅され、ますます先鋭化しています。

今日、世界の人々は、対立ではなく融和を、抗争ではなく協調を求めています。そして、それを先導する根本的な理念を日本に求めようとしています。専制君主も独裁者も現れず、万世一系の天皇を文化と権威の中心としていただいてきた平和な日本の発展の秘密を探り、それに学びたいとしています。とりわけ日本文化に造詣の深いフランスの知識人たちは、日本のように、異なりを認めあうとともに一つであることを自覚し、各自がその立場と能力を生かして譲り合い助け合う社会の到来を待望しています。

もう、欧米や中国に世界の指導理念を任せておくことはできないと悟り始めたのです。しかし、肝心のわが国が、本来の固有の国体思想を忘れ、それを再構築しようという気力を失っているように思われます。いまだに、米国の古い価値観と覇権主義を言語化した憲法に束縛され、洗脳されており、そこから抜け出し、自立の道を探そうという勢力はまだまだ少数です。

アメリカの思想的植民地となってしまった感のある日本ですが、しかし、まだ古来のよき道義の風習を失っていないことは、東北大地震の際に被災者たちがじっと忍耐して分かち合い、助け合った光景からも実証されました。
わが国の共同体主義と調和主義は、米国風のデモクラシーの基盤にある個人主義・功利主義や覇権主義にとってかわりうる価値を持っていると私は信じています。
これからの我々には、今後の日本と世界を指導する理念として、「和の精神」をもっと精緻な論理で、海外に理解される形で、言語化することが求められているのではないでしょうか。たとえば、自由に代わる「自在(とらわれないこと)」、平等に代わる「応分」などの新概念を検討し、「調和」の中身(やわし、むつみ、つくす)をもっと詳しく構築することではないでしょうか。喜んで「感謝と奉仕」に足を踏み出す哲学を提示することではないでしょうか。それは、当然のことながら海外の諸紛争を解決に導くのに役立つ思想となることでしょう。

欧米に発祥した自由主義と全体主義は、ユダヤ・キリスト教の伝統とそれに対する反発から生まれたものですが、これからの世界を先導する理念は、天地自然を書かれざる最高の経典とみる古代人の宇宙観と人間観に基礎を置くものとなると私は予感しています。明治・大正の思想家、川面凡児は、そのことを早くから指摘しており、晩年の司馬遼太郎や丸山真男も古代的な世界観に、わが国体の根本観念を発見したように思われます。

すなわち、個人ではなく生命場を基本に置き、一回限りの創造(creation)ではなく、たえざる生成(なりたち)を宇宙生命の流れとみる古代の原型思想から、言語化を始めなければならないと私は考えています。それはまた、過去と未来の場、顕界と幽界の場が同時存在する並行宇宙を時空論(「中今」)の基礎に置くものとなることでしょう。人間は本来的に罪の子ではなく光の子であり、人間社会はより気高い光を求める祭祀共同体であるとみる古代の思想は、我が国に限らず、古代の世界全体に共通する思想であったはずです。

欧米人の大半は、まだ新興宗教であるユダヤ・キリスト教の世界観にとらわれていますが、その深層には数万年間続いたケルトの古代思想がしっかり残っており、復活の時期を待っていると思われます。人類の集合的無意識にひそむ古代の生命観、社会観は、感謝と清浄の心をうながし、報酬を求めず「世のため、人のため」に奉仕する気概を絶えず生み出し続けるはずです。(その一部は、拙著『宇宙の大道を歩む――川面凡児とその時代』において紹介しています)。

いいかえるなら、古代世界の神話をきちんと体系的な存在神学に高めることが現在求められているのです。素粒子物理学などの成果も用いながら、現代社会に適用しうる和の行動哲学を作り上げることが急がれているのです。
我々日本人が直感的に納得している「和の真理」を言語化していかなければ、日本は不思議な得体のしれない国と置き去りにされるばかりでしょう。この情報戦争の時代に、いつまでも「言あげ」をしない国であっては、見向きもされなくなるのではないでしょうか。

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Author:サラ・シャンティ
戦後70年、封印されていた日本人の意識を目覚め、世界の期待に答えるために、高天原の神々からの波動を受けた人々が活躍する時代となりました。そして縄文基底文化に秘められたカタカムナの謎が次々に明らかになりつつあります。天命を抱いてサラ・シャンティに集われる講師の方々をご覧いただければお分かりになるでしょう。

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