古事記編纂千三百年に思うこと(2)

 
・「私たちの祖先は江戸時代までに素晴らしい
文化を築いていた」といわれるのに、どこで
どうおかしくなったのか? 
・なぜ明治維新政府は廃仏毀釈を採用し
なぜ修験道を弾圧したのか。

この二つの疑問点が関裕二著「神話のカラクリ、不比等の野望」を読んで明らかになりました。

「明治政府が廃仏毀釈を採用したのは、欧米を真似て、天皇をキリスト的な唯一神に仕立て上げ、さらに富国強兵を打ち出し周囲の国を植民地化しようと、多神教的な江戸幕府を打ち倒した」

ちょうどこの頃ダーウィンの進化論が書かれ「神道のアニミズムは原始宗教だ、一神教は多神教が進化したものだ。」「白人優越主義」で人種差別も正当化されました。留学した明治政府の人たちもそう教えられ、信じたのでしょう。そして欧米の『進化論』的侵略思想によってキリスト教を布教しつつ中南米やアフリカ、アジアの先住民文明を壊滅し、非人道的黒人奴隷貿易を300年以上も続けたのです。1919年日本は第一次世界大戦後のパリ講和会議において、人種的差別撤廃提案を提案したが大多数の賛成の中、アメリカと英国などの反対で否決され、実現しなかった。日本が東南アジアの植民地解放に貢献しようとしたのも当たり前です。

日本の持つ不思議な力に惹かれた欧米の知識人は日本のことを良く研究しました。フランス国営文化放送プロデューサーとして紫式部から三島由紀夫まで多くの優れた日本文化紹介番組を送り出したオリヴィエ・ジェルマントマ氏の著書「日本待望論」からの引用です。「神道なくして、日本はない」そうです。

(1)地球上の多くの民族が、植民地や革命のために国の起源を根こそぎにされてしまったのに、日本一国のみが天皇のご存在を通して最古の歴史をいまなお結ばれているとは、何たる皆さんは幸運な国民であろう。(中略)これまで私は日本の多くの神域をめぐり歩き、そのつど比類なき神道の息吹に感動させられてきた。先進国ではほとんど荒廃させしめられた自然の神聖さが、そこでは原初のまま保たれている様に信じがたい思いだった。これに比べれば、神聖さへの畏敬を欠いたエコロジー運動など、物の数ではあるまい。神道の神髄は霊性的エコロジーに他ならないからだ。

(2)袋小路に陥った現代文明は、商業主義蔓延のなかでロボット人間を作ることで終わるか、失われた内的豊穣と自然との共存を再発見して、真の人類繁栄を確立するかの岐路に立たされている。もし後者を選ぶなら、日本に勝るモデルはない。その独創的にして深い霊性的文化のゆえに、堂々たる王道が日本に開かれ、それゆえに我々は、どこよりも貴国に待望するのである。日本の皆さん、皆さんは自分がいかなる秘宝の上に座しているか、本当に自覚しておられるのでしょうか。
 
 このジェルマントマ氏の思いは、欧米の親日派知識人が普通に感じている事ではないでしょうか。とすれば、日本待望論に答えるべき時期は今しかないでしょう。そこに素晴らしい救世主が現れました。明治天皇の玄孫の竹田恒泰さん、37歳です。竹田さんは慶応大学で脱原発の第一人者藤田祐幸先生に出会います。この出会いは単なる偶然でしょうか、何ものかの計らいでしょうか。藤田先生の下で環境学を学び、野宿者支援の活動を通じて、原発労働者の被爆の実態を知ります。アメリカの攻撃を受ける直前にイラクを訪問、劣化ウラン弾の放射能汚染による障害を受けた子ども二人の最後を看取られたそうです。

こうして竹田さんは藤田先生の下で筋金入りの脱原発活動を実践されています。竹田さんは脱原発を「神道の神髄・霊性的エコロジー」で訴えます。彼の著書に、「原発はなぜ日本にふさわしくないか」、そもそも「国生み」によってできた我が国に、「神々の領域を冒した存在」である原子力発電はそぐわなかったのだ。「原発には愛がない。本来、保守こそ、日本の国柄に合わない原発には反対すべきなのです」と書かれています。山川草木悉皆成仏は霊性的エコロジーの言葉そのものなのですね。来年に迎える伊勢・出雲の同時遷宮は「神道の神髄は霊性的エコロジー」の素晴らしい実践例ですよね。今年はそのための古事記編纂1300年と機が熟しています。それを裏付ける古事記の普及が必要ですが、竹田さんは自身の古事記をすでに1万冊、日本の旅館とホテルの各室に配り、現在2万冊目の寄付を集めておられます。

維新政府は仏教と同時に修験道も弾圧しました。私は古武道を始めたおかげで肉体を通して味わって、知らず知らずに修験道の世界の魅力に惹かれてきました。最初はわが家から歩いて1時間のところにある修験道の行場にご縁があって滝に通うようになり、その後、伊勢神宮、大峯山、奥掛け、比叡山一日回峰行、熊野古道、四国88カ所、和歌山―高野山100キロ、各地の山岳霊場を好んで歩いて来て、最近はなぜこんなことに惹かれるのだろうかと、自分のルーツを探る本を読み始めました。

修験道の総本山のある大峰山に杖道の仲間と最初に登ったのは30年ほど前の事ですが、今年もお盆に登りました。まず登り口の洞川・龍泉寺の行場で禊をします。大峰の伏流水で大変冷く気合いが入ります。初めての時は本当に冷たくてびっくり、先が思いやられました。山上の「西の覗き」では100Mの断崖絶壁に吊るされ「親孝行するか!」に、恐怖でみんなハイと答えます。これは大人になるための通過儀礼として昔の人たちが考え出した事ですが、今もしっかり残されています。下山後は洞川温泉「筆おろし」があったのですが、これは30年ほど前になくなりました。しかしそんな事があったと想像するだけでも意味があるかもしれません。

今年は山頂の宿坊を少し高い所にある桜本坊に移し、大峯では無理だと思っていたご来光を初めて拝む事ができました。山上の本堂にお参りし、般若心経をあげてから、全員で演武を奉納します。吉野蔵王堂までの24キロは山をいくつも越え、鎖場もある難コースで、片道8時間、朝7時に出れば3時には吉野に着き、美味い食事が待っています。このコースは少し健脚なら大丈夫、ただし女人禁制です。

吉野山とその南方二十数キロの大峯山系に位置する山上ヶ岳・天川村を含む山岳霊場を包括した金峰山を開創し、蔵王権現を本尊とする金峰山寺が生まれた。ここを往復する回峰行を生み出したのが修験道の開祖・役の行者(634-701年)で、その後の1300年間でこの千日回峰行をした人は2人だけ。現在金峰山寺副住職の柳澤真悟さんと仙台慈眼寺の塩沼亮潤さんです。

今の時代に役の行者の生まれ変わりがなぜ二人も突然生まれたのか不思議に思いませんか? 7世紀の終わりに道教、仏教、神道などを習合し民衆の間で地の底から湧きあがるようにして誕生した修験道は、最下層の民衆の拠り所になる「反骨」な性格があり警戒されてきたそうな。明治の神仏分離令で神道を重視するようになり、仏教の排斥と同時に修験道も禁止令を出したそうです。その後今に至り日本人の信仰心は訳の分からないものになってしまった。その情けない様を見て役の行者の生まれ変わりが二人も今の時代に生れたのか分かります。「柳澤真悟さんは金峰山寺を再興するため、塩沼亮潤さんは修験道を復活するため」と僕は勝手に解釈しています。

役の行者が開山したとする修験道の山々は全国にあり、まさに空を飛んでいた仙人ではと思わせます。富士山、出羽三山、浅間山、木曽御嶽山、戸隠、白山、大山、石鎚、開聞岳、阿蘇、生駒、葛城、熊野、愛宕、伊吹、どれも山好きの人なら必ず登った事のある名山ばかりの人気スポット、今でも役の行者も修験道もしっかり民衆に守られ、時の政府の弾圧や無視にも耐え深く根付いた基底文化が保たれています。

六甲山も修験道の宝庫で役の行者の足跡も多く大峰山に匹敵する丹波修験道場として興隆を誇ったという。しかし、大和修験道との勢力争いにより1482年、押し寄せた300名の大峰山僧兵によって焼き討ちに遭い、寺々はことごとく焼失したという。しかし広田神社、神呪寺、鷲林寺、石の宝殿、荒業するに格好の地形を備えた行者道、仙人窟~心経岩~雲ケ岩~天狗岩、ホルイ岩、三国岩があり、しめ縄が飾られるイワクラや大木など自然に手をあわせ拝みたくなるスポットが随所にある。

山や森林面積の広い日本は狩猟採集生活の山の民も多くいたし、7世紀に律令制度が生まれた頃、その枠組みからはみだした平地民が山間地に逃れ、様々な職を生み出し、川原乞食など芸人も生まれた。神社で舞われる御神楽、能や狂言、漫才、田植え祭りのなどの農山村の郷土芸能・民俗芸能など古い民衆の氏神信仰の祭りと渡来した仏教、道教が相互に深く結びついています。その時代背景から古事記は神話と民話が入り混じった人間臭さと奇妙奇天烈なお話で、日本誕生の真相が面白く描かれています。

大和の統一王朝が生まれた古墳時代に馬鹿でかい前方後円墳を全国に作れたのも天皇と豪族と農民の信頼関係があったからでしょう。534年仏教が入ってから葬儀が仏教式に変わり、立派なお寺が建造されるようになりました。奈良の大仏や東大寺建築の高度な技術は、縄文以来の高い文化水準を維持する農耕民族が培った技術の存在なしには考えられませんが、その聖武天皇を助けたのは、その民衆の心をまとめた奈良・葛城山周辺の修験道の力であり、役の行者の功績ではないかと思います。

役の行者は子供のころから仏教を学び、10歳で元興寺の慧観に学んで17歳で出家したという。しかし19歳で大峰に入ったのはなぜでしょう。すでに彼を魅了する古代山岳信仰がそこにあり、そして熊野への奥掛けが生まれ、熊野権現の本地垂迹(古事記の神々が仏様になる)や神仏習合思想を生みだした。

・空海もやはり19歳で山林修行に入り、25歳からの空白の7年は大峰山で千日回峰行に挑戦し、旺盛な精力を鎮めていたかも知れません。
・比叡山で修行した法然、親鸞、日蓮なども修験道の影響を受け、神仏習合の世界観を持っていました。
・907年から始まり1281年まで続いたというアリの熊野詣は、京都から熊野まで往復30日余りの旅でで、上皇、法皇と公家、音曲係、歌人、調理師、人夫の数百人の大掛かりの行幸でした。
・天武天皇、義経、後醍醐天皇、楠正成も身を隠した金峰山寺や山岳宗教は日本の歴史の重要な役割を演じています。

最近六甲ケーブル山上駅近くに新たな遺跡が見つかった。昭和の初めに大富豪が立てた別荘地でホルイ岩というイワクラの側にである。そこの管理を任されたNPO法人CC愛編集室が9月16日に、「もうひとつの六甲山―古代遺跡と別荘建築そして傾舞奉納」というイベントが現地のお披露目として開催され、夕方から場所をサラ・シャンティに移し、大江幸久さんの講演「六甲山系の磐座とセオリツ姫・ワカ姫の深い関係」が開催されます。
(チラシを同封しました)

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Author:サラ・シャンティ
戦後70年、封印されていた日本人の意識を目覚め、世界の期待に答えるために、高天原の神々からの波動を受けた人々が活躍する時代となりました。そして縄文基底文化に秘められたカタカムナの謎が次々に明らかになりつつあります。天命を抱いてサラ・シャンティに集われる講師の方々をご覧いただければお分かりになるでしょう。

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