杖道入門 中年の巻

「杖道をやっています」「じゅうどう?」「じょうどう、です」「じょうどう?」「杖の道と書きます」「あ〜、棒術みたいなやつですか」「ん〜、ちょっと違います…」 古武道を習っているという話題に及んだ際、しばしばこんなやり取りが起こります。私は現在、杖道なるものを習っています。

正式名称は神道夢想流杖道または杖術。古くから日本に伝わる武道、即ち古武道のなかの一流派です。杖道は今から四百年ほど前に夢想権之助勝吉という剣の達人によって創始されました。彼は天真正伝香取神道流と鹿島直心影流の剣術の奥義を修め、それまで一度も敗れたことがなかったらしいのですが、宮本武蔵と試合をして初めて破れたそうです。

それ以来諸国を遍歴し粉骨の武者修行の末、筑前の神社での三七日の祈願を終えた際、夢のなかで「丸木をもって水月を知れ」との神託を授かったと伝えられています。それ以降、剣によって得た真理を応用し、三尺二寸の太刀よりも一尺長い四尺二寸一分、直径八分の樫の丸木を創出し、これを武器として槍、薙刀、太刀、体術等の武術の特徴を総合的に取り入れた杖術という新しい技の体系を編み出し、遂には宮本武蔵の十字留を破ったと伝えられています。その後、杖術は黒田藩門外不出の御留の武術として明治維新まで継承されましたが、その後明治四年、門外不出の杖術も一般に解禁され現在に至ります。

六甲界隈に引っ越し数年ほど経った、とある土曜日の夕方のこと。普段はJR六甲道駅からバスで家に帰るのですが、珍しく歩いて帰ろうと阪急六甲駅近くの八幡神社の境内に足を踏み入れたところ、道着袴姿の一群が何やら練習をしている光景に遭遇しました。そのうちの二人を見ると、一方が太刀を、もう一方が杖を持ち、打ち合いをしていました。

それまで見たことのない光景に俄然興味が湧き、その場におられた方にお尋ねしたところ、杖道であることが分かりました。それから時間を置かず、私はこの杖道に入門していました。私が四五歳ぐらいの時です。その歳でよく入門したなと自分でも思います。その理由をよくよく考えてみたとき、例えるならば、杖道という古武道を目の当たりにしたことが触媒となり、小さい頃から私の心の中でちょろちょろと燻っていた何かに触れてパチパチと火花が弾け、その火花が杖道入門の数年前から私の心に渦巻いていた〝ある思い〟に引火したのです。

小さい頃はチャンバラごっこが好きで、当然斬られ役よりは斬り役になりたいので、延々と切り合いを続けているようなアホな子供でした。小学校高学年になったある日、学校の部活動を紹介する冊子を見ていた時、知った顔の子が剣道部の写真の中に写っていました。彼は身体が大きめだったのですが、たまに鼻を垂していた、ぬぼーとしたような性格でした。一方、写真の彼は道着袴を着て、普段見せないような凛とした表情でこちらを見ていました。これがあのハナタレ? カッコええ… 自分もやりたい…。しかし、その頃の私は小児喘息気味で痩せており、剣道部に入部することはありませんでした。しかし未練はありました。

中学校に入学し、私自身は個人競技に興味があったのですが、よくキャッチボールをしてくれた親父に半ば強制されて野球部に入部しました。守備練習時に受けるノックの球は速く、しかもグランドに沢山落ちていた小石にその早い球がよく当たり、眼前で急に向きを変え顔面めがけて跳ね上がってきました。そんな時はついビビって腰が引けエラーをし、監督からもっと前に出て球を取れと怒鳴られ、試合でエラーしてチームに迷惑をかけないようにと思いつつ、大事な場面でエラーする。思い出としてしっかり残っています。それでもなんとか中学三年まで辞めずに頑張り、甲斐あってレギュラーになれました。しかし中学三年生最後の地区大会直前に、私のポジションにサードでのポジション争いに敗れた奴がやって来ました。最後の地区大会、試合中ベンチをずっと暖めていました。この悔しさが、団体競技より個人競技や、との思いを強くさせたかもしれません。

中学三年生の時、〝燃えよドラゴン〟にハマりました。それが高じて高校入学の時点で両親を説得し、町の少林寺拳法道場に通わせてもらいました。技をかけられた時の痛みや、勢い余って金的を蹴られたときの声が全く出ない痛みを乗り越え、黒帯二段を取得することができました。こうして面白さを感じ始めた頃、大学受験勉強が本格化する時期と重なり、勉強に専念しなければヤバいかも、ということで高校最後の半年間、少林寺拳法の練習を休ませていただきました。結果、一浪の後、行きたかった京都の大学に受かったのですが、その反動で京都での大学生活を満喫することに心を奪われ、結局は少林寺拳法から遠ざかってしまいました。このことが後になって少林寺拳法をしていたと自慢したいけど自慢しきれない、中途半端な思いとして残っていました。

大学を過ごした京都は大学と共に学生が非常に多く、保守的な地元京都人の性格とは裏腹に、若い学生文化の都のようで、〝新しいことはいいことだ〟という価値観に溢れていました。加えてマスメディアは欧米の新しいデザイン、ファッション、音楽、映画、舞台芸術など、新しがりの若者受けするモノを頻繁に紹介し始め、外国(西洋)のモノは優れているように喧伝し、私たちも、新しい=洋モノ=良い、という図式を頭の中に作り上げたかのようでした。私自身、京都に六年間住んでいたのですが、その間、京都の有形無形の文化遺産にあまり目が向かず、実に勿体無いことをしたと後になって後悔しました。

社会人になってからも、洋モノ礼賛の流れは続きました。極めつけは、これから英語を話せないことはビジネスにとってはマイナスであるとメディアに煽られ、三十代半ばぐらいに一念発起して英会話学校に通ったことでした。そのお陰で立て続けに二社の外資系企業で働くことになりました。幸か不幸か、運の尽きか運の始めか、このことが杖道に向かうきっかけとなりました。

外資系企業では年に一、二度、同じ部署の人間が各国から集まる全体会議がありました。二社目の外資系企業の場合、日本からの参加者は私のみ、他は欧米と中南米からの参加でした。そこでは〝グローバル〟としてのアメリカ本部による方針説明と、〝ローカル〟としてのその他の国からのメンバーによる質疑応答、そして議論がなされました。西洋的な考え方に議論の結論が纏まろうとする方向に対して、専ら異見を唱えたのは、若い頃に西洋の文化に大いにカブれた私でした。

拙い英語力も手伝って、西洋の多勢に対する日本の無勢、とは言い過ぎかもしれませんが、日本のマーケットや消費者のことを考え、文字通り孤軍奮闘する状況にしばしば陥りました。気疲れてホテルの部屋に戻り一人ビールを煽っているような時、改めて実感させられるのでした。つくづく自分は日本人やなぁと。

違う文化や考え方を持つ人間が、お互い何とか分かり合おうとし、それをお互い共通の仕事として具体的に解決しようと努力する。こうしたことは日本では経験できないので、視野が広がったという意味においては良かったと思います。しかしそれ以上にエエ歳の中年になって、自分のDNAはやっぱり日本人なのだ、という忘れがちな事実を、他国の人間との生々しいやり取りによって相対的に認識させられたことは貴重でした。

何故ならこの相対的な認識があったからこそ、私自身は洋モノにいくら惚れても痩せても枯れても日本人でしかあり得ないということを悟り、だったら絶対的な日本人としてのDNAというものが私にはあるのだろうか、あるとしたらどのようなものなのか、もっとしっかり実感したくなったのです。要はアイデンティティクライシスと表裏一体の思いだったかもしれません。そしてそれには、ガラパゴス諸島の生き物よろしく長い年月をかけて独特の進化を遂げてきた、世界に類を見ない素晴らしい日本の伝統文化を学ぶことが、今の自分に出来る最善の方法だと考え、数年来、この歳の自分に合ったものがないものかとアンテナを張っていたのでした。

そうこうして八幡神社で杖道という古武道に偶然出会った瞬間、それが小さな頃から心の底で燻っていた思いと化学反応してパチパチと火花が散り、その火花が、日本の伝統文化を今更ながら学び実感したいという温故知新の思いに引火し、杖道入門即決への炎となったのです。

八幡神社境内での故吉田師範との稽古
八幡神社境内での故吉田師範との稽古

六甲道場に入門し、約七年半になります。その間、多くの方々が入門されては去っていかれました。私がこれまでのところ、あまり休むことなく修行を続けて来られたのは、自分にとっての杖道の面白さも然ることながら、入門時から杖道だけでなく様々な修行事をご教示いただいた、昭和平成時代の文武両道の武人のような吉田泰造師範をはじめ、杖道を通じてそこに集っておられた方々との少なからぬご縁があったからだろうと思います。この意味に於いて、私が六甲界隈に引っ越し、杖道に遭遇したことは、実は偶然でなく必然であったのかもしれないと感じています。

吉田師範は惜しくも昨年三月に急逝されました。改めてご冥福をお祈りいたします。
合掌
三木 能武之

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サラ・シャンティ

Author:サラ・シャンティ
戦後70年、封印されていた日本人の意識を目覚め、世界の期待に答えるために、高天原の神々からの波動を受けた人々が活躍する時代となりました。そして縄文基底文化に秘められたカタカムナの謎が次々に明らかになりつつあります。天命を抱いてサラ・シャンティに集われる講師の方々をご覧いただければお分かりになるでしょう。

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